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高尾山の麓で練習しています。

男声合唱団 お 山 の 大 将  

全日本合唱連盟発行、会報「ハーモニーNo169(夏号)」の「コンサートレポート」に、松田先生の、≪「うた」そのおおいなる命」≫と題したレポートが掲載されました。 このレポートには、「お山の大将」の定期演奏会で「土の歌」を歌うことになった「いきさつ」が「熱く」綴られています。
総勢70名で歌った「土の歌」。迫力に満ちた、あのステージが、この「レポート」を通して、また新たに、心に蘇って参りますと共に、「石巻メンネルコール」の皆様や、「合唱の仲間たち」と共に歌ったあの「ステージ」を、大事な「宝物」として再認識いたします。

私達、「お山の大将」メンバー全員、「レポート」が掲載されましたことについて、誇りに思い、また、この上ない喜びを感じております、
そして、私達は、すでに、「第8回 定期演奏会」に向けて始動しています。若干のメンバーの入れ替えはあるにせよ、更なるスパイラルアップを目指し、練習に励んでおります。
そして、その「誇り」を大切にし、次回演奏会を創り上げていきたいと思います。
どうぞ、これからも宜しくお願い申し上げます。

なお、この「コンサートレポート」掲載の経緯を、申し添えいたしますと、「お山の大将 第7回 定期演奏会」の会場で、先生のお話を聞いて感動された方からの依頼で投稿したところ、採用されたものです。


「ハーモニーNo.169(夏号)」の掲載内容を、ここに載せることはできませんので、松田先生がお話しされた内容の要約を掲げます。ご一読いただければ幸いです。

お山の大将 第7回 定期演奏会「第4ステージ 土の歌」 
開演前 松田先生よりご挨拶
 
(文につきましては、少し文語体に加工している箇所があります。)

・・・・・・何故、今、「土の歌」をこの時期に歌おうとしているのかをお話ししたいと思います。私が、一番初めに石巻の日和山(ひよりやま)に登ったのは、2011年7月29日でした。これは、八王子オリンパスホールの「杮(こけら)落とし」で、斎太郎節を歌ったことがご縁で、私はどうしても、石巻の日和山にお参りをしてきたいという強い思いを持ちました。そして、7月29日に日和山に行ってまいりました。その時に見た光景が今でも脳裏から離れません。殆ど街は「色」がなく、「灰色」といったらよいでしょうか、そういう景色の状態を7月29日に見てきました。
そして、その年の12月、石巻での演奏会に出席するため、こちらから30名ぐらいの合唱団のメンバーが石巻に行き、「石巻メンネルコール」の皆さまと共演を致しました。その演奏会では、「大地讃頌」は初めから歌うことになっていましたが、アンコールがありましたので、もう一度「大地讃頌」を歌いました。その時、私は、「会場のお客様で【大地讃頌】をご存知の方は一緒にステージに上がってうたってください。」とお話を致しましたら、一人の男性が上に上がってくださいました。その方は、私達が行った演奏会の当日の「大地讃頌」を歌う時まで、震災で奥様を亡くされたショックで、声が出なかったそうですが、思い切って「大地讃頌」を歌ってみようと思って、ステージにお上がりになったらば、「声が出た」ということです。
そのお話を、私は、後から聞いたのですが、その時に、「大地讃頌」はどういう「音楽の力」を持っているのだろうかと思いました。
それが、その「土の歌」をいつか演奏会で、この時期、震災の後のこの時期に、「土の歌」を歌うべきではないかなと思い始めた、私のきっかけでした。 そして、今度、お山の大将の演奏会をするときには、できるものなら、『石巻の皆さまと一緒に歌いたいなあ』という強い思いがありましたので、「石巻メンネルコール」の西條様にお声をお掛けいたしました。初めは5~6人というお話でしたが、とにかく皆で行こうということになってくださり、今日、皆様がお越しくださいました。3月9日、私は、石巻にお邪魔して、「ピエロ」と「土の歌」の練習をいたしました。そして、昨日と、集中練習をし、今日のステージということになりました。


            ―中 略―


・・・・・・そして、私が今回(3月9日)、石巻にお伺いして、もう3回目になりました。
この場でこのようなお話をしてよいかわかりませんが、私が、痛く、心に感じたことを会場の皆様にお話したいと思います。
私は、大川小学校には行ったことがありませんでしたので、練習の翌日、「石巻メンネルコール」の西條様に「大川小学校に連れて行ってください」とお願いをし、連れて行ってもらうことになりましたが、実は、私は、私のピアノを女川町立病院に寄贈しましたので、その「ピアノ」を見に行った帰り、大川小学校にお寄りしたいと思いました。西條様は、大川小学校の反対側の駐車場に車を停めて「大川小学校を、降りて見てくれるな」という声が地元ではあります。観光バスもここまできてもバスの中から見ておりました。でも、私はその言葉に頭を上げられなくなり、私は、大川小学校を見ておりません。

これから歌います「土の歌」のなかに、「悲しみに耐えて生きよう」という詞がございますが、私達が「悲しみに耐えて生きよう」ということではなく、本当に、「悲しみに耐えて生きよう」と思って、一生懸命、明日の事を考えておられる皆様が、東日本、いや、福島にもたくさんおられると思います。もしかしたらこの会場にもいらしているかもしれませんが、私達は、遠くから、心して、その方たちの、少しでも明るい明日を願っている思いでいるべきだと、私は、本当に、反省して帰ってまいりました。それでは、これから「土の歌」を「石巻メンネルコール」の皆様と一緒に歌います。
そして、実は、「石巻メンネルコール」の団員の中に、津波にのまれ、今は、お空の上に行ってしまった方がいるそうです。そういう皆様と一緒にこのステージで歌います。
会場の皆様も同じ思いで「土の歌」を聞いていただきたいと思います。

      
                                                   以上

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